マナー

こんな話を聞いた。
若者層は中年層に較べ、外食をした際に「ごちそうさま」と店員に声をかける率がとても高いのだとか。
これはとても意外な話で、ずっと僕は逆なのではないかと思い込んでいた。
しかし確かに言われてみれば日常的に「ごちそうさま」と言って店を出て行く若者をよく見る。
今日も某駅前の某松屋で、若者達は大きな声で「ゴチソウサマー」と奥の厨房に向かって叫んで店をあとにする。大変美しい光景である。
ニッポンの未来も案外明るいのかもしれない、などと思ってみたりもする。

しかしその反面、首を傾げたくなることもある。
大半の客が音を立てて食事をすることに欠片の躊躇も見せない。
百歩譲って麺類ならともかく、ご飯までもすすって、肘を思い切り左右に広げ、猫背のまま丼にかじりつく。テーブルに食器を置く時も勢い良く音を立てる。
牛丼屋だけの話ではない。座敷では立膝、煙草の煙は人の顔に吹きかけ、口の中の物を隠さずに会話を続ける。
そして無論、客だけの話でもない。店員でさえも、大きな音で茶碗を重ね、ドアをバタバタと閉める。
マナーには二種類あるように思う。
一つは個人の積極性を求めるマナー。最初の「ごちそうさま」はこれに当たる。
目上の人をたて、挨拶は大きな声で。これを自然にこなせる若者が殊の外多い。
しかし何故かもう一つの、「自重するマナー」が欠落している場合がこれまた殊の外、多い。
まず我慢すること。美味しそうにクチャクチャ音を立てる(本人達に言わせるとこういうものらしい)ことを我慢し、ビールの飲み干したあとに「ふわぁ〜っ」と息を吹きかけるのを我慢し、通勤途中に喉に絡んだ痰を吐くのを我慢し、満員電車で思い切りよく足を広げて座ることを我慢する。
一つ目の方は、社交性という点に於いて学校に始まり、職場や友人関係に依
るところが大きいと思う。そして二つ目は、無論様々な要素が絡むのは間違いのないところだが、圧倒的に大事なのはやっぱり家庭だ。

日本人は辛抱することが出来なくなってきた、という類のことを最近よく目にし、耳にする。若い世代の「理解不能」な犯罪もここに端を発しているとか。
未成年の犯罪に対して「親も罰すればいい」などという意見も出ていたが、これにはある意味、心情的には理解を示したくなる。実際に罰することになったら「おいおい」と思うだろうし、全てを親の責任にしてしまうのはとても危険な話ではあるが、まず、どうして「こういうことをしてはいけない」のか、教えていかなくてはならない。小さなことからでいい。例えば、食事中のマナーを。
「個性」を大事にしようというスローガンは大変美しい。しかし使い方を間違えた結果は御覧の通りだ。「個性」という言葉を逃げ口上に使って、根本的な教育を僕達は忘れてしまっているんじゃないだろうか。自分の意見ははっきり言おう。まず行動に移そう。その結果、社交性のある人間は確かに出てきたとは思う。しかし、出すだけが人間の能力だろうか。内に抑える事そが僕達が持つ最も強い力に成り得るとは考えられないだろうか。
…なんて無相応なことを20時13分の電車に間に合うように大急ぎで牛丼を食べながら考えていたら、案の定電車に飛び乗った時には急性腹痛症に陥った。「ゆっくり時間をかけて、よく噛んで食べなさい」と教わったのをすっり忘れてしまっていた。自分のことを棚に上げてイッチョマエな口を利こ
うとするとホラ、天罰が下るのだ。ちなみに未だに痛い。

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